話芸は、どのようにできてきたのでしょう。
まず、仏教の布教のための説教がひとつのもとであるといえるでしょう。大衆に仏教を広めるためには、興味をひくストーリーを作り、一人でも多くの人に聞いてもらえるように工夫したものでしょう。
そんな中からストーリーを膨らませ、皆に分かりやすくするために、時には笑いを誘うおもしろい話を交えながら説教をしているうちに、だんだん話が磨かれていったものでしょう。
その他に儒教から来たものもあります。儒教は中国でうまれ鎌倉期に日本へ渡りました。その儒教と一緒に、いろいろの中国の故事も渡ってきました。現在残っている落語の中に中国の故事を元としたものが多いのには、そのような背景があります。
また、忘れてならないのは、「竹取物語」、「今昔物語」、「宇治拾遺物語」などの説話文学があります。その中でも「竹取物語」は途中にサゲ(落ち)が何カ所も出てきて読者を飽きさせない工夫がされています。
さらにさかのぼって、「古事記」にもユーモラスな表現が多用されており、日本では古来よりユーモアが重んじられてきたことがわかります。
鎌倉期から室町期の戦国時代になると、各大名の下にいろいろな分野にそれぞれの話芸に秀でた御伽衆(おとぎしゅう)と呼ばれる者が仕えるようになりました。
秀吉は、約八百人の御伽衆を抱えていわれていますが、その中には千利休や織田有楽斎などの茶人も含まれています。